WRITER常務取締役 長谷川昌和
これと云った趣味のない男ですが、銀行員時代転勤も多かったこともあり城を見つけると登っていました。特に天守閣からの眺めが好きで、武将はここから国づくりを考えていたんだな・・・とロマンを感じてはストレスを解消していました。
戦国時代以前の中世の城は山城といわれ、数十から数百m位の山の上に作られた、防御的機能に重点を置いたものが多く、城下町の発達も余りみられませんでした。また、天守閣というような大きな建物もなく、現在の遺跡としてもあまり見るべきものが残っていません。安土桃山時代以降の城は平城、平山城と呼ばれ、平地にそびえ、軍事、政治の中心となっていたものです。規模も大きく、当時は石垣や土塁の上に天守閣や櫓が立ち並び、周囲を威圧していました。しかし、現在でも城の威容を保っているものはあまりありません、江戸時代には170余もあったのですが、今でも昔のままの木造天守閣がそびえているのは、12城にすぎません。又、近年鉄筋コンクリートで外見だけ復元したものも少なくありません。堀が埋められたり、石垣が崩されたりして、ほとんど形をとどめていないものさえあります。全く残念なことだと思います。
さて12の登城歴ですが、スタートは二十歳の頃。家内と結婚する前、デートで行った姫路城(兵庫)。次に新婚旅行で行った松本城(長野)、銀行の岐阜支店長時代に行った犬山城(愛知)とひこにゃんが居る彦根城(滋賀)。以上が「国宝四城」と呼ばれています。
次にオーエムにお世話になってから、「重文八城」。県内の備中松山城(岡山)辺りから明確に12城制覇を狙い、山陰の松江城(島根)。四国へ渡り、丸亀城(香川)・松山城(愛媛)・高知城(高知)・宇和島城(愛媛)と一気に登り詰め、一昨年のGWに子供4人も引き連れて丸岡城(福井)へ遠征。そして最後は同じく一昨年、東北復興支援旅行第一回目で、弘前城(青森)へと大遠征し足掛け35年目で無事満願成就となりました。
当然次の目標は未だ半分程度しか登れていない「日本100名城」、ただこちらは北海道から沖縄まで広範囲に亘っているので、「定年後の楽しみだね」と家内とは話をしています。
オーエム産業㈱ 常務取締役 長谷川昌和(ドットヨム146号:2013年12月)