2008年8月下旬、ロシアの自動車集積地サンクトペテルブルグとモスクワを訪れる機会に恵まれた。その年の6月まで副会長を務めていた日本自動車部品工業会の役員を対象とした視察団に参加させて頂いてのことだった。ロシアと言えば旧ソビエト時代からベールに包まれ、いや、鉄のカーテンで閉ざされた国であり、それだけに一度は訪れてみたいと思っていた。しかし、いざそれが現実のものとなると、期待に胸躍る思いと共産主義大国ロシアに対する恐怖心が交錯複雑な心境の旅立ちであった。
成田空港からフランクフルトで一泊して翌日昼過ぎにサンクトペテルブルグへ。不安と緊張で神経をピリピリさせてロシアの地を踏んだ我々の視察団であった。
しかし、自動車部品工業会ということもあってか意外とスムーズに入国することが出来、一同本当にほっと安堵したものだった。酷寒の地ロシアを覚悟していたのだったが思いの外暖かく、太陽も顔をのぞかせとても好印象で第一歩を踏み出すことができた。一日目の服装は半袖で過すことが出来たが空は一転してどんよりした曇り空から小雨模様、それも間もなくみぞれに変わり肌寒い日が続き、帰国の日まで太陽を見ることは出来なかった。8月下旬から短い秋が始まり、間もなく太陽のない辛い冬を迎える。10月から3月迄は朝10時に夜が明け16時に日没という昼間が短い冬となる。
日本人で初めてロシアの地を踏んだのは回船の船頭だった大黒屋光太夫であったという。彼は1783年嵐の中を紀州から江戸に向かう回船で漂流し、アリューシャン列島に漂着し毛皮の収穫の為に滞在していたロシア人と遭遇しロシア語を習得し、帝都サンクトペテルブルクでエカテリーナ二世に謁見し帰国を願い出て許された。漂流から9年半後に帰国し豊富な見聞は蘭学発展に大きく寄与したと言われる。
ロシア人の対日感情は非常に良かった。ロシア人は東洋系の人種の区別が付かないらしく、日本人は中国人とよく間違えられるという。ロシアは嘗てモンゴルのチンギス・カンの支配に辛酸を舐めさせられ、中国人にはあまり良い感情を持っていないが我々が日本人と判ると非常に好意的になった。ロシア人の平均寿命は、男性59歳、女性73歳でその差はなんと14歳もあり、男女の寿命差もさることながら、日本人との寿命の格差に驚愕した。男性の寿命が短いのは寒い土地柄ゆえにウォッカばかり飲んでいるからだとの風説もあるが真偽の程は定かでない。ロシア人気質は「非があるとよく怒り出す」「女性は生活力旺盛で骨太で持論を曲げず逞しいので男より扱いにくい」「男は母親に育てられたマザコンが多く、だらしなく離婚率も高いがみかけとは違い意外とやさしい」そうだ。
またロシア料理はどれも我々日本人の舌に良く合いなかなか美味であった。当時のロシアは空前の鮨ブームで、サンクトペテルブルグ、モスクワともに400~500軒の鮨店があるそうだ。日本の醤油やわさびとロシア人との相性は抜群に良いそうだ。ロシア料理を食べながら飲む酒はまずビールに始まり、次には必ずウォッカだ。しかも冷凍庫から出したばかりの冷たいトロリとした無味無臭透明でこれこそが最高のウォッカの飲み方である。度数40度のウォッカは冷凍庫に入れても凍らないのである。これまでオランダで飲んだジェネバ、中国の貴州茅台酒、メキシコのテキーラなどその土地、土地で飲む酒は気候風土とその土地の食に適し誠に美味であったことを思い出しながら酒好きのメンバーとグラスを重ねた。