1996年3月インドを訪れた。関空を出発してシンガポールでトランジット。22時にニューデリー空港に到着。空港は香料を多く使う国民性の為か強烈な臭いで満たされ汚れていた。その光景はまさに当時の発展途上国を象徴しているようであった。気温は45度と高く蒸し蒸していた。迎えの車は雨季で道路がぬかるむから車高が高い四輪駆動のパジェロであった。ホテルまで行く道路には牛が沢山うろうろして牛を避けながら運転する始末である。インドでは牛は神として崇められ、苦役に使えなくなった牛は屠殺されず町に放し飼にされ住民が餌を与えていた。
インドはインダス川流域で世界三大文明の一つインダス文明を生み育み、世界宗教の一つの仏教が誕生した歴史ある国家である。
インドの自動車産業は国民車構想に呼応したスズキが1981年にインド政府と合弁でマルチ・スズキ・インディア・リミテッドを設立し、マルチ800の生産を行っていた。1980年代は日本国内の自動車メーカーは挙ってアメリカ進出をしている最中であり、スズキがインドへの投資を決めたことは異色中の異色であった。インド国内では先駆者のマルチが圧倒的シェアーを確保していた。
1987年操業のスズキの協力会社の部品会社二社を視察した。中小企業の親父を自負しているスズキの鈴木社長だけあって協力会社も質素で細かな合理化を実践する一方で品質意識の高さでは当時すでに三次元測定機が設置されていたことには驚きで、我が身を大いに反省させられた。
デリーでの工場見学の後はボンベイ(現ムンバイ)そしてアウラマバードへ移動した。空港で日本人医師を探すアナウンス流れていたので、その場に居合わせた日本人の一人として何かできることはないかと野次馬心も手伝って駆けつけてみた。そこには日本人女性の二人組が居てその一人が腹痛で困っておられた。結局、日本人医師は見つからず現地の医者がやって来て使い廻しの注射器で針の消毒をしないままブドウ糖注射をしたのでぞっとした。その後訪れた遺跡で簡易神輿に担がれ遺跡巡りをしているその日本人女性二人に再会し、彼女らの逞しさに驚きながらも安堵した。紀元前2世紀から7世紀頃の仏教遺跡アジェンダとエローラの石窟群とその中の仏像や天井・壁のフレスコ画を見学、山の中腹をくり抜き幅2㎞に渡る崖に石窟群や僧院、礼拝堂、寺院そしてジャイナ教石窟の彫り上げの見事さに感動した。
再びデリーに戻りタージ・マハルの麓のホテルに宿泊、早朝からのイスラム教のお祈りの声で目覚める。楽しみにしていたタージ・マハルを観光、タージ・マハルはムガル帝国の皇帝が愛妃の為に建設した左右対称の総大理石の墓廟で美しい象眼が施されたインド・イスラム文化の最高峰の建築である。霊廟並びにその前の美しい庭園は左右対称になっており、霊廟の後ろの崖下にはヤムナー川が流れている。その息を飲む美しさと荘厳さはまばゆいばかりで深く胸を打たれた。この旅は仏教徒である自分自身としてもその聖地を訪れ僧侶の修行場所の僧院なども見学することが出来実り多い旅となった。