私の海外旅行記録を紐解くと、これまで57回(仕事での海外出張は除く)もの旅をしていた。旅行先は風光明媚な観光地や遺跡、急成長の国の実態調査、欧州、東欧、北欧、中東、東南アジア、北米、南米、オセアニアなどの国々では異なる政治体制や異文化を体験した。今なお、行きたくて行けてないのはアフリカ大陸である。もうこの年になると長時間の飛行と時差が苦痛で行く意欲が失せてしまいテレビの旅紀行でも見ている方が良いとさえ思う。
それでは私の初めての海外旅行を紹介しよう。それは1965年(昭和40年)8月の大学4年の夏休みに「早稲田大学第一回欧州学生交歓見学団」に参加してのイギリス、オランダからイタリアまでの一ヶ月間のバスツアーの旅であった。
この見学団では、5月の結団式を終えてから英会話の練習、欧州経済文化の研究、合宿、国内バス旅行などを行い団員間の緊密化が進められた。団員は4班に編成され、全ての団体行動の基礎はこの班に置かれ、特に行動規律厳守の為に門限などの集合時間の厳守が徹底された。団は大西鐡之助早大教授を団長とし、大学関係者二名と校医を随行し総員128名(うち女性22名)であった。8月2日羽田東急ホテルで壮行会を行い、チャーターしたKLM機でロンドン空港へ向かった。私の生まれて初めての欧州旅行はこうして始まった。この旅は私にとって貴重な思い出深いものとなった。この時の仲間はカラカラ会と称して今でも年に一度集まっている。
当時は、1ドル360円の固定相場で、外貨の持ち出しは外貨規制で一回の渡航では500ドルに制限されていた。途中、アンカレッジ(当時の欧州への飛行ルート)を経由してロンドン空港へ。交換学生としてケンブリッジ大学、ボン大学、ハイデルベルグ大学、パリ大学、ジュネーブ大学を訪問し意見交換をした。
オランダからは4班がそれぞれ4台のバスに分乗しての一ヶ月のバスツアーだった。その間行動を共にしたバスの運転手とガイドさんに「規律正しい驚異的に素晴らしい団体」と言われた。
訪問した土地ではその地の史跡、観光地や美術館を巡って回った。ロンドンではウエストミンスター寺院やバッキンガム宮殿へ。ケンブリッジ大学の行内では建物の美しさ、いかめしさ更には庭園の広さ、緑の鮮やかさにみんな感嘆し構内を流れる舟遊びを楽しめる小川などにため息が漏れた。ロンドンからオランダに向かう7時間の船旅ではキャビンで外国人との交歓も盛んに行われ、三々五々にビールを飲んだり、絵ハガキを書いたり、トランプをした。オランダでは運河を遊覧船で巡りその水の汚さは東西を問わず当時同じであった。
アムステルダムでは建物の左右から登る階段が付いている家は金持ちの家の印だそうだ。ボン大学では教授が流暢な日本語で校内を案内してくれ教室や廊下の美しさにはうらやましさを禁じえなかった。ベートーベンの生家では自筆の楽譜、特製のピアノ、マスクなどの陳列が多数あった。昼食は学生食堂で食べ、ライスが出てみんな喜んだのだが、それもつかの間、何とも言えないひどい味であった。ライン下りの船では学習院大の一行に出合う。
またイタリア人観光団のにぎやかさはどこでも同じだ。ローレライの岩の前を通過したが期待は大きく裏切られた。フランクフルトではダイムラーベンツの工場を見学したが期待していた乗用車工場ではなくトラック工場でみんながっかりした。ハイデルベルグ大学ではビスマルクの学生時代に入れられたお仕置き部屋を30ペニーも支払って見学した。ルクセンブルクでは日本人が当時は珍しかったのかじろじろと見られる。バス内では歌合戦が行われ盛り上がった。