会社がわが人生のすべてであった頃、私はよく言われる「会社人間」、悪く言えば「社畜」であった。私たち戦中生まれの戦後育ちの人間が、貧しさから早く脱却して米国のような「豊かな暮らし」を夢見てがむしゃらに働いてきた結果である。
今年、私は齢75を数え、会社人としての現役も最終盤に近づきつつある。いよいよ城山三郎の著書「毎日が日曜日」を迎えようとしていると実感する。毎日が日曜日となってゴロゴロしていると家庭内粗大ごみとして扱われると聞く。毎日の日曜日をどう過ごすのかは切実な問題である。そうならない為に、趣味をみつけて楽しく癒されながら余生を過ごせたらと思う。
そこで「私の趣味は何か」考えてみた。健康管理の為に1996年以来21年間続けている早朝1時間のウォーキング、これだけ続けてくると私にとっては趣味の領域に入っていると感じている。
会社人生の第一ラウンドの終わり頃、カメラを趣味にしたいと思い「写真教室」へ通ってみたが、余り心は躍らず芸術ではなく記録写真に徹しようと思った。次に必要に迫られてパソコンを本格的に勉強しようと「パソコン教室」に通った。これは3年半続きワードとエクセルの上級、各種絵図やポスター作製さらにビデオの編集もできるようになった。
そして、今や、家族・孫たちの誕生日にA4版写真のバースデーカードをそれぞれ20枚程度贈るのが私のライフワークになっている。
撮り貯めたスチール写真を含めすべての写真を個人別時系列にコピーしパソコンにインストールし、写真カードには図形やオンライ画像、各種文字で装飾してタイトルを付け、12枚程度張り付けた写真には撮影日とイベント内容、コメントも付ける。毎年14人分のバースデー写真カードを作るので1年中パソコンと格闘する。子供の成長記録や自らの生い立ちの詰まったカードは各自それぞれが様々なシーンを思い出し結構喜んでくれていると信じ自己満足している。私自身は「作る喜び」と「喜んで貰える喜び」を感じ、自分自身の過去を思い起こすこの時間を大切に思っている。
昨年覚えたホームビデオ編集で動画の楽しみも知った。またスマホで撮った写真やラインで送られてきた写真などもパソコンに取り込み活用している。私のような高齢者でアナログ人間であっても、パソコンを教わったことで世界が広がった。しかし最近、写真、ビデオ、スマホなど情報量が多くなり14人分個人別に分類してパソコンに取り込み、外付けハードデスクにバックアップすることに少々疲れてきた。いつまで続けられるか判らないが皆の喜ぶ顔見たさに頑張ろうと思う。
邦楽の清元の名取だった父の影響もあり、青年会議所時代「小唄の会」に参加して以来、師匠について小唄と清元を10数年稽古した。途中からは妻に三味線を習わせ一緒に稽古をし、私が習った唄はほとんど弾けるまでになってくれた。老後に時々妻の三味線で小唄や清元を唄うのも楽しみである。
最近は父の跡を引き継いで「庭のお守」をしている。毎朝ウォーキングの後、苔庭を掃除し水を遣り、雑草を抜き、木々の顔色を見守っている。仕方なしに始めたことであったが、これが心の癒しになりこれもまた亡き父から貰った趣味の一つとなったようである。