今日まで過去を振り返る暇もなく、ただがむしゃらに前ばかり向いて歩いてきた。思えば典型的な会社人間として生きてきた。
私が社会人となった頃の日本は、官民一体となって先進国に追いつけ追い越せを合言葉に、近代工業社会の形成を目指していた。その後、高度成長を経て経済大国日本へ、そしてバブルの崩壊、失われた10年と言われる長い不況のトンネルへ、それからやっと景況感が安定した矢先に100年に一度の米国発の金融危機を迎えた。その間、貿易自由化から貿易摩擦、現地生産化、国際化時代そして市場原理主義へと変遷した激動の時代を生きた人生とも言える。
そんな私も最近、会社の第一線の仕事から退き、少しは時間に余裕ができ人生を俯瞰できるようになった。
一昨年、(協)ウイングバレイの理事長を退任し(株)アステアの代表取締役会長の代表権も返上、関係していた大半の団体職の役員も引き、現在はいくつかの団体職と公職だけを務めさせて頂いている。
これからは残された第二の人生をちょっぴり楽しむことが出来ると心ひそかに胸を躍らせていた。休日には以前から準備していた一眼レフのカメラを片手に、リュックを背負い、四季折々の県内の名所旧跡を散策、また長期連休には車で四国一周の美術館巡りの旅を楽しんだ。いずれは中国・近畿さらには全国の美術館の探訪もと期待をしていた。
しかし突然、岡山県公安委員会委員を委嘱され、一年後には公安委員長を拝命することとなった。公安委員会定例会議、県議会、警察関係の各種行事の参加などでまたまた忙しくなった。
皆様方へのささやかなご恩返しためと思って頑張っている。役目柄、自らを律し、なかなか自由奔放な気分にはなれなくなった。
私の生まれた町、神戸に娘が住んでいるので、週末には出かけて地上○○階からの1,000万ドルの夜景を楽しむ。昼間は眼下に拡がる神戸の町並みや港、背に六甲の山々を眺めながら好きな本を読んでゆったりとした気分を楽しみひとり悦に入っている。今ではこれが私の唯一のリラックスタイムである。
今も明け方の神戸のマンションの一室でこの原稿を書きながら、100年に一度のこの厳しい不況から早く回復することを願っている。