昨日で東日本大震災から9ヵ月が経ちました。この話は7月に被災地を訪ねた時のことです。
7月23 日(土)、栃木工場の飲み二ケーション前に被災地を訪問した。ただ見に行くだけであり、失礼な気持ちもあったが、岡山や東京などから現地を支援しに行かれ ている何人もの知り合いの方から「自分の目で見た方がいい」と言われていたこともあり、半日の空き時間の中で、さっとではあるが車を走らせた。訪れたのは 津波の被害を受けた石巻市と日本三景のひとつである松島である。
高速道路を使って仙台から石巻まで移動したが、道路工事をしていたり、被災証明書をもっている車が一般出口を使用するために、ところどころで渋滞が 発生していた。特に高速道路出口は、証明書を1枚1枚確認するために、ひどいところでは高速道路上から出口まで渋滞が起こっていた。ETCゲートは空いて いるのだが、ゲートにたどりつくのがたいへんだった。
だんだんと海が近づいてきているのを感じ、車の窓を 開けてみた。今でもすっぱい匂いがたちこめている。遺体安置所と手書きで書かれた案内板をいくつか見かけた。海沿いまで進むと、津波でできたと思われる更 地がいくつも出現する。家の土台だけが残っている場所、何も残っていない場所、家の形はあるが吹きっさらしになっていて中に何もない家、へしゃげて転がっ ている重機など、見たこともない風景が広がっている。自分が直接に被災した阪神大震災とはまた違っている。
元は公民館らしい遺体安置所に立ち寄ると、グラウンドをお墓にしているようで、等間隔に埋葬され、花が手向けられていた。
石巻から海岸線を松島まで移動する。途中、田んぼの真ん中に乗用車やボート、その他の物が転がっている不思議な光景を見た。
風光明美な観光地として有名な松島。初めて行くので前のことはわからないが、似つかわしくない光景が広がっていた。瓦礫を積んだダンプカーがひっきりなしに 訪れて、空き地にどんどん積んでいく。ホテルらしき建物は、津波によって無残な形になっている。おそらく別荘などがあったのだろうと思われる場所も、土台 しかない。橋の欄干は半分が宙ぶらりんになっており、その先の信号機は色をつけることなく傾いている。
山あいに進むと、このあたりは被害が少なかったようで、家もきちんとしている。小学校の教室から炊き出しと思われる煙が出ており、迷彩服を着た自衛官が掃除をしていた。きっとキャンプ地兼避難所になっているのだろう。
ローカルラジオからは助け合いのメッセージが流れてくる。お店を再開した話、今なお瓦礫が片付けられていない地区の話、地元の被災地に帰ってきた芸能人の励まし...。
僕らは何をすべきだろう?
ドットヨム第117号:2011年7月
追伸 震災から9ヵ月、訪問してから5ヵ月、あれからどうなっているのか。
私が最近聞いた被災地の方のお話。
1.まだまだ生活することもたいへんなのに、被災地以外の地域
2.不眠不休で24時間対応していた時の、多額の残業代や休日出
3.いろんなところからお金と人が入ってきて、パチンコ店や夜
☆☆ でも最後には「いろんなことがあるけど、冷やかしでもどんど
想いだけでは難しいけど、みんなの想いが太く良い方向につながっ